生きものにぎわう海とともに生きる暮らしの復興を願って

このたびの東北地方太平洋沖地震で被災され、過酷な苦しみの中におられる全ての方々に、衷心よりお見舞いを申し上げます。とりわけ三陸リアスの入り江にある町々は「壊滅」とも伝えられ、日々映像で繰り返される激しい津波の前には、どのような言葉も浮かびません。

このブログは、「生物多様性を考える(株)緑生研究所計画部ブログ」と題して、これまで生き物や生物多様性についての色々な話題を取り上げてきました。今回は、生きものにぎわう海とともに生きる三陸リアスの町々の輝きが、一日も早く取り戻されることを祈念しつつ、2冊の本をご紹介したいと思います。

畠山重篤著『森は海の恋人』文春文庫(2006年)
畠山重篤著『リアスの海辺から』文春文庫(2002年)

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著者の畠山さんは、気仙沼市の唐桑半島の付け根にある舞根湾という小さな入り江で、牡蠣と帆立の養殖を営んでこられました。豊穣な海には豊かな山が必要であることを感得され、近年各地で盛んにおこなわれるようになった漁業関係者による源流域での広葉樹植林活動の先駆となられた方です。

『森は海の恋人』は、次のような文章で始まります。
「漁民は山を見ていた。海から真剣に山を見ていた。海から見える山は、漁民にとって命であった。」
近代的な計測機器が発達する以前、漁民にとって山は、漁船や漁場の正確な位置や、天候などを知る大切な手がかりであり、そのような情報を読みとる「山測り」ができることは、漁民にとって必須の能力であったのだそうです。

本書には、「森・川・海のつながり」が、古来から漁民の暮らしといかに密接にかかわるものであったか、そして高度経済成長期に沿岸から生き物の姿が消えていく中で、再び「つながり」の重要性が畠山さんの中で意識化され、希有な行動力で人々を惹き付け、気仙沼湾に注ぐ大川上流の室根山に大漁旗がはためくまでの物語が、雄渾に綴られています。

本書のもう一つの大きな魅力は、畠山さんが幼少時代に触れ、生業・遊び・勉強という生活の全ての場であった海の生き物の活き活きとした描写です。岩礁にひそむドンコ、夜釣りの海に揺れ動く夜光虫、ギョーと鳴きながら船の甲板でのたうつアナゴ、浜の作業場で牡蠣殻からこぼれ出たゴカイや小エビをついばむイソヒヨドリ、波打ち際でさばかれた魚のはらわたを目当てに集まるヤドカリ、夜の海で七色の光を放つ車海老、カニをつかまえて押さえ込むタコ・・・多感な少年の目に映り、体で覚えたこれらの生き物との関わりがみずみずしく綴られ、かつての三陸の海の豊穣さに思わず感嘆してしまいます。

『リアスの海辺から』では、「リアス」という言葉がスペイン語で「潮入り川」という意味であることを知った畠山さんが、リアスの本場であるスペインのガリシア地方の土を踏みます。キリスト教伝来によるスペインと三陸地方との縁や、キリシタンの苦難の物語を通奏低音のように織り交ぜながら旅は進みます。海藻に覆われ、クロダイやアジといった様々な魚やカニなどがひしめく本場リアスの豊かな海、それを育むロブレと呼ばれるナラの黒々とした森、「森は海のおふくろ」と語るスペインの漁民との邂逅、漁民の食卓をかざる素朴ながら豊かな海の幸の数々、そして旅の終着点は、帆立貝の貝殻を身につけた巡礼者が集う聖地サンチャゴ。その聖堂の中で、畠山さんは森・川・海の豊かさについて祈りを新たにします。

2冊の本の中では、時折、三陸の海難にまつわる話が影を落とします。「私の住む唐桑町の漁業の歴史は、海難の歴史でもある」という言葉に、三陸の人々が経験してきた度重なる辛苦と、それでも海とともに生き続けてきた誇りを強く感じます。このたびの大震災の傷はあまりにも大きいですが、三陸の人々の知恵と経験がそれを克服し、生きものにぎわう海とともに生きる暮らしが一日も早く取り戻されることを切に願っています。そのために、私どもに少しでも何かできることはないか、模索する日々です。

緑生研究所の詳細はコチラ
http://www.ryokusei-ri.co.jp/

担当:伊藤

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